7月4日。

約2ヶ月たった豪雨の被災地を見てきた。

 

7月4日。地元である熊本は、大雨の被害にあった。この日のことをどれだけの人が知っていて、そして覚えているのか分からないけど、私の祖母の家も被害にあった。すぐにでもボランティアに行きたかったけど、県外にいる私はコロナの影響で立ち入り出来なかった。親に状況を聞きながら、ただただ祖母の無事を確認して安心していた。

 

 

祖母の家に行くとなった時、親から「被災地だから。覚悟しててね」と言われた。話によると、1階まで水に浸かり、もう住むことは出来なくなったらしい。「もう何にもないからね」と聞いていたので、自分なりに覚悟していった。

祖母の家に行くまでの道でも、被害にあった家を沢山見た。外から見たら無事に見えるけど、取り外された窓から見えた家の中は何も無くて。ただただ泥と、流れてきたのであろう草やゴミ、そしてかつては床であった板だけ。胸が苦しかった。大きな橋も落ちてしまっていて、川にそのまま残されていた。何度頭の中でイメージしてみても、この高さまで水が来たとは思えなかった。1ミリも伝わらないと思うけど、20年以上見てきた者としては、信じられなかった。

 

祖母の家に着いた。やっぱり外から見たら何ともなくて。「ああ、想像よりは…」と思っていたら。玄関を開けると何も無かった。靴箱。電話台。廊下はただの砂まみれの板。テレビも、こたつも、食器棚も、何もかも無くなっていて。気をつけていないと踏み外してしまうぐらい脆くなっていた。両親は仏壇のものを取りに来ていたので、どれを持って帰るかなど触りながら話していた。私も手伝いながら、我慢できなくてボロボロ泣いてしまった。思い出が無くなっていた。壁には祖父母の金婚式の時の賞状。私や姉が子供の時の写真。それらがあるぐらいで、全てが失われていた。ここで祖父を看取ったのに。何も無かった。ここで祖母とご飯を食べたのに。無かった。年始には親戚が集まって宴会をして大盛り上がりだった場所なのに。全部全部なくなってしまった。涙が止まらなくて、拭っても拭っても泣いてしまって。父が切なそうに私を見て笑って、母には「ばあちゃんの命があっただけ良かったよね」と頭を撫でられた。

泣きながら家を見て回った。取り付けたばかりだったエアコンだけが綺麗だった。どこを見ても思い出は無くなっていて、虚しかった。辛かった。

 

孫の私でこんななのに、ここで育った父はどう思ったんだろう。祖父が亡くなった時にも1度しか泣かなかった父。自分の仕事もしながら、たくさん考えてたくさん耐えて、祖母を支えてきた。母も、父に協力して暑い中片付けに来ていたらしい。そしてここが家だった祖母は、どんな気持ちだったんだろう。今これを打ってるだけで涙が止まらない。

 

 

 

 

自然災害は防ぎようがない。勝手に起こるもの。母の言う通り、命が助かって本当に良かった。ここ最近も台風の被害がすごかったりするし、それぞれが考えて行動しなきゃいけないんだな。

 

 

 

 

当たり前なんてないんだね。